世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

浪人中に最果てまで行ってきた話⑨/8-9日目

【平成26年7月29日-30日】
石打で夜を明かし目覚めたのは始発前。

綺麗な朝日が見えました。
石打からは上越線で国越え。
有名なループ線を通ったり楽しい路線でした。
水上につくと湘南色に乗り換え。
高崎に向かいます。
高崎に到着すると115の他に107系がいたり。
 
暇だったのでしばらく散歩して駅に帰ってくると
おじゃマップのロケがやっていて香取慎吾に黒木メイサがいました。
 
そして11:14の湘南新宿ライン直通の特別快速で横浜まで。
横浜では友達の家に戻り、
その日の夜のムーンライトながらで関東を離れます。
初めてのムーンライトでしたが、
思いのほかぐっすり寝られ気づいたら大垣。
大垣から岐阜まで戻り、高山線キハ11で美濃太田。

美濃太田からキハ47の普通列車で多治見。
多治見からCL車で恵那に帰りました。

恵那に帰ってから、母親の機嫌がものすごく悪かったことを覚えています。
帰ってきたのは7/30の朝。
出発したのが7/22だったので一週間近く旅をしていたことになります。
 
思えば、初めての家出。そして初めてこんなに長期間旅をした経験でした。
19歳の夏に一人で北海道まで行ったことはきっと忘れない気がします。
最果てまでたどり着いたとき、思ったことがありました。
もう日本の端まで逃げてしまったのだから、
これ以上先には逃げられないないな、と。
恵那に帰ってから、意外とまじめに勉強して、
大学に入学ができたのも、この時に北海道まで行ったからだと思っています。
 
家に帰ってからかなり怒られたのですが、
私は浪人時代というのは、勉強する期間ではなくて、
自分の目標とする大学に合格するために必要な学力を養う時、だと思っているので、
大学に合格できる自信があるならば遊んだってなにしたってかまわないと思うのです。
 
そして、旭川から稚内までのお座敷列車の向かい側で、
浪人していたという教師のおじさんがしみじみとつぶやいた
「19の時は何をやっても濃いよ」という言葉を今でも覚えています。
 
きっと忘れられない19の旅になったのです。
これでよかった。そう思っています。
 
-最果てまで-終わり