世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

樺太(サハリン)旅④*豊原(ユジノサハリンスク)市内*

【2015-8/14】ユジノサハリンスク(豊原)
 
朝目覚めたのは確か8時前。
ホテルの窓から駅を眺めると客車が。
フロントでパスポートを受け取って、お隣のユジノサハリンスク駅へ。
 
とりあえず列車が止まっていたホームへ。
機関区の方を眺めると機関車やD51が。
 
戦後に日本からソ連に輸出された生き残り。
ソ連崩壊後、日本からの観光客向けにイベント運転をしていたようですが、
今はおそらく動いていない。これを走らせたら日本からいっぱい集まるだろうなあ
ちなみにこのD51には戦勝70周年!とペイントされています。
う~ん、それ日本の機関車なんですけど・・・
 
そんなことをしていると敷香方からD2型が。
日本製のディーゼル気動車です。
 
ちなみに待っている乗客は誰一人とカメラを構えていない。
カメラで写真を撮っている外国人である私、ずっと変な目で見つめられています。
前方に回り込んで写真を撮っているとき、それまでもこそこそと写真を撮っていたのですがついにロシア語で黄色いチョッキを着たおじさんに注意をされました。
 
しかしわからないロシア語。とりあえずнe?нe?(ダメなの?)
Я не знаю по русский.(ロシア語は話せません)というと
わからんのか、じゃあ帰れ。と言われホームから出されました。
 
ロシアでは鉄道撮影は禁止されていないはずですが、ソ連時代の慣習が今でも色濃く残っているのでしょうか。ここは外国、無茶してはいけません。忠告に従っておとなしく帰ります。
 
その後、窓口でこの日の夜行のノグリキまでの寝台車、そして翌日のノグリキからポロナイスクまでの寝台車、その次の日のポロナイスクからユジノサハリンスクまでの寝台車の乗車券を買っておきます。
 
切符を買う時は窓口にキリル文字で行先と日付をノートに書いて渡すと、
寝台にするのか、座席にするのか聞かれるので寝台、と寝るゼスチャーをして答えます。
 
そんなこんなできっぷをゲット。
 
ホテルに戻って荷造りをしてからチェックアウト。
ちなみにこのホテルユーラシア。
駅から近く便利なのですが、
宿入る時にパスポートを預けて帰ってくるのが翌日朝。
ロシアは旅券の携行が義務付けられているため外出すらできない。不便極まりない状況だったので、3日後ユジノに帰ってくるときは、
駅前左手にあるホテルモネロンに泊まることに。
 
 
 
ユジノサハリンスクの街を歩きます。
@昔の日本の建物。今は美術館のようです。
 
@カラフルな建物が並びます。
океанとは海の意。ここは劇場ですね。
 
@ソ連時代の?壁画。兵士が書かれていて共産主義っぽい。
 
@お店の中。ショーケースの中にピロシキたかソーセージとかが売ってます。
ちなみにお菓子は韓国製ばっか。
@スーパーマーケット
@レーニン広場
ちょっと回って駅に戻ってきました。
駅前は広場になっていて、噴水に花壇に、レーニン像。
意外と市民の集まる場所になっていて、話していたり、お茶を飲んでいる人も多数。
 
2015-8/14 ユジノサハリンスク後編
 
駅前に戻ってきてから駅横にある鉄道公園に行くも
閉館。
外から車両たちを眺めてそのまま線路に沿って北へ。
近くにある自由市場やショッピングモールへ行きます。

ショッピングモールはきれいに展示されているけど
日本みたいに豊富な商品はない様子。
三階建てで一番上の階はフードコートやゲームセンターになっていたり。
そのあと街の中の本屋に入ったりして
ガガーリン公園へ。
 
遊園地がある区域の奥には子供鉄道が。
旧王子ヶ池の周りを走るように子供鉄道が走っています。
一回の乗車は100pでした。
宮西豊さん。ユジノサハリンスクに住んでいる日本人のようです。
 
ここのベンチで日本人のような人がいたのでこんにちは、と話しかけてみると
一瞬戸惑った顔をした後に、日本人ですか?という返事が返ってきました。
話しているとどうやらその方は朝鮮人のようで、戦前に樺太にやってきて
そのまま住んでいるのだとか。「日本時代、日本ことば話す。日本負ける、ロシアことば話す大変」と言っていたのが妙に印象に残っています。日本の敗戦後、日本人は引き上げができたものの、日本国籍を有していた朝鮮人は、北朝鮮に帰ることはできても、南朝鮮(韓国)に帰ることが許されずそのままとどまった人も多く、現在サハリンの人口の一割は朝鮮人なのです。
 
その後、お腹がすいたのでカフェへ。
サハリンの街には公衆トイレやお店にトイレなどはなく基本的に食事処で手洗いを済ませなければなりません。それが大変でした。
 
その後は、サハリン州博物館へ。
ここは旧樺太庁博物館で日本の建物がそのまま残っています。
名古屋市役所のような和洋を折衷したかのような建物。
大正から昭和にかけての建物によく見られたすてきな設計。
先人たちが力を込めた様子がひしひしと伝わってきます。
中はサハリンの自然やロシア人のことに関する展示がほとんどで、
ワンフロアしか日本の展示がありませんでした。
 
 
 
しかし、南樺太の地図があったり、日ソ国境の石碑があったりと面白い場所でした。
外には奉安殿に帝國陸軍の戦車が展示されていました。
 
ここを見終わった後、列車でブイコフ(内淵)まで往復してこようと思うも、ダイヤ改正で往復はできず、近くにあるカフェで時間をつぶすことに。
 
ここで21時半ごろまで時間をつぶし
ボルシチとジュースとぺリメニ(クレープ)
そして、いよいよ22:30のノグリキ行の列車に乗り込みます。
 
ユジノサハリンスクは札幌を意識して作られているらしく、
碁盤の目に整然と区画が整備されその中に立っているのが、
ソ連やロシアの建築。カラフルな配色のビルだったり、
歩道の上に立っている売店。そして右車線を走る車はほとんどが日本車。
ところどころに日本の建物も残っていて、昭和以前の木造建築だったり、
かつてのモダンな意匠凝らしたものであったり。
 
こんないびつな街を歩くのが楽しくて楽しくて、
写真を撮ったり中に入ってみたり。
初の海外にしては刺激の強すぎる豊原の街でした。