世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

樺太(サハリン)旅⑥*敷香(ポロナイスク)*

【2015-8/16】
知り合った人の隣のアパートで目覚めたのは確か九時くらい。
外を見てみたらこんな景色でびっくり。ソ連だなーと。そしてお宅に邪魔して朝食を。
昆布やいくらに黒パンが出てきました。
 
そして、車に乗せてもらって市内を散策。
 
まず向かったのは郷土博物館的なところ。(中には入りませんでしたが)
 
 
間宮林蔵と菅原繁蔵。間宮は知っていましたが菅原繁蔵は知らない人。
調べてみたら植物学者でした。
樺太で植物採集をしていた人のようです。
日本の偉人がロシアの地で紹介されているのは誇らしいです。
少数民族二ヴフの家
ロシア式の愛の誓いの木のようです。
 
敷香旧駅の脇を通りながら王子製紙工場跡へ
 
かつて日本が樺太経営にかけた意気込みが伝わってくるような大きさ、
そして立派さ。
昔、樺太が日本だった頃、森林資源豊かなこの地で大量のパルプが生産されたのでしょう。そしてソ連に引き継がれてからもずっと使われていたのでしょう。
日本建築の強固さ、それはおそらく世界に誇れる、すばらしいものです。
 
ところでこの日は戦後70年の8月16日。
ここでなんとユジノサハリンスク日本総領事の方にお会いしました。
どうやら終戦70年関連で豊原から来た模様。
 
樺太に一人で来たというと驚かれていましたが、
日本地図の白い所に興味があってきた、と告げると
「俺も同じや」「学生かな、これからも勉強頑張ってください」
と声をかけてくれました。今思えば車の中から座って話していたので失礼にあたるのかなと思いましたが、貴重な出会いでした。ありがとうございました。
 
その後は渡し舟の港になっている海岸へ
多分日本時代からの灯台
 
 
この渡し舟ボストークⅲ、東方3号といったところでしょうか。
対岸の様子、なかなかに朽ち果てた模様。
北海道らしいような。。。
 
 
 
魚を釣っているおじさんもいました。
この樺太はもうロシアのものなんだなあって思いました。
 
 
そして大鵬関の銅像へ
ちょうど2014年に建立された像。実は大鵬関って敷香町の生まれなんです。
日本人が暮らした敷香ってどんな街だったんだろう。
 
 
日本人墓地を探したんですが見つからず…
海岸に行って一旦宿に戻りました。宿に戻ってからは少し休憩して、街に出ることに。
@このように昔の建物を外観だけ改修している建物が多くありました。
ただ、内装は個人に委ねられているようで、古いものと変わらない。
@ソビエト的な集合住宅
@郵便局
 
カフェのようなところでご飯を食べて
向かうは旧敷香駅。
塀に囲まれていたのですが、確か線路伝いに歩いて辿り着いたのがここ。
 
日本式の高いホームに並ぶ旧式車両。
 
おおおおおおおと興奮が止まりませんでした。
 
ひたすらに写真を撮っていました。
しかしながら、ロシアというよりソ連はかつては写真撮影の制限されていた国。
変な外人がカメラ出していたら何を思われるかわからないので慎重に。
 





タンク車に客車に貨車に・・・
旧ソ連車両のオンパレード。いやひょっとしたら日本車両もあるのでしょうか
詳しい方コメントいただけると幸いです。
まだまだ進んで今度は敷香機関区の方面へ

扇形機関区が…
 
日本の扇形機関区に転車台!
未だに残っていました。戦後70年を経た平成27年にも。
かつての先人たちが残した遺産をソ連、ロシアが今の今まだ保守管理していたことに感激しました。敷香に来た甲斐がありました。
それにしても日本ではおそらく見ることのできない不調和なカラーリング…
その中に混ざる日本というのは妙なものにみえてしまいます。
 

線路幅は日本と同じ狭軌。
この写真だけ見たら北海道の廃線後のよう。
 
そうして散歩していると、踏切が鳴りました。
 
 
 
長い貨物列車が。
あいにく近くまでは来ず入れ替えしてしまったのでこれ以上写真は撮らませんでしたが。それにしてもかっこいい。
 
この風景を見た後は、再び宿に戻ることに。
 
宿に戻ってからはロシア人の友人の方たちとバーニャ(サウナへ)
サウナの中には、水風呂とサウナと食卓があり、
サウナに入ってお湯につけた白樺の葉で体をたたいた後、水風呂に入るのを何回か繰り返して、お酒を飲むといった感じ。
昨日初めてあった人、そしてその友人の二ヴフの夫婦と一緒だったので、少し怖くはありましたがいい経験になりました。
多分、もてなそうとしてくれていたんでしょう。
@クラブ?
 
そして23:33発のユジノサハリンスク行でポロナイスクを離れます。
お世話になったロシア人は、
この街は遅れていてまるでソ連時代のようだ、と言っていた街、ポロナイスク。
確かに今振り返ってみると、ヨーロッパロシアの方では考えられないような寂れよう、そして遅れよう。
本当はホテルが取れず来れるかどうかわからなかったのですが、
偶然フェリーで隣にいた人のおかげで訪れることができて、とてもよかった、
いつか来てみたかった南樺太最北の街に行けてよかったです。
 
 続く